はっぴいえんど物語

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貧乏はするものではない、味わうものだ

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五代目古今亭志ん生師匠の言葉です

大変に貧乏だったそうで、奥さんはとても苦労を
されたそうです

志ん生師匠はお金が入るとパーッと使って来てしまい
困って何か言うと

「貧乏はするものではない味わうものだ」

と奥さんは志ん生師匠に言われたそうです
そして質屋通いの生活だったそうです

十年以上前に、話を聞いた時に、この言葉が印象に
残りました


何となく、薄っすらと分かった様な、気がしましたが


貧乏を味わう感覚が、実感として分かりませんでした

仕事を辞めた時に、この言葉を思い出したのです

年金生活になるので、味わう事になる、どんなかしら...

もう欲しい物は、殆ど無いし、それ程やりたいことも
無いので、コツコツとした生活を楽しんでみよう

なんて、少し楽しみにしていた位だった...

それから二年過ぎたが、現在の心境は...?

楽しんで味わう、気持ちには、まだ成れないですね

物心がついた時から、実家は商売、嫁いだ先も商売
夫共商売

別れてからも三十年近く商売で生活をしてきたので
月給生活を経験したことが無いのです

少しの年金と僅かばかりの貯金で何歳まで生きるか
分からないので、どう使って良いか分からず...

ショッピングセンターやスーパーに行っても、あまり
買い物が出来ません

お金を使うのが怖いのです...
とっても迷います

高いのか、安いのか、本当に必要か、不必要か

今はスーパーの値段も分かる様になり、曜日により
何がお得か考えて、節約的買い物をしています

前はそんな事を考えて買い物している時間は全然
なかったのです

昔の様な買い物の仕方は出来なくなりましたが
不満とか惨めさはありません

なんとか知恵を絞って節約する方法を考えて
努力しています...が中々です

その内に[味わう]と言う、ゆとりの気持ちに
なるのでしょう...





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94歳まで生き抜いたおばさん  またね!


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叔母が今月の始めに亡くなりました、94才でした

母の妹です、私が幼い頃に一緒に暮らしていたので

母親代わりの様に、面倒を見て貰っていた、おばさんでした

我が家から、嫁いで行ったのですが

私の目からは、とっても苦労をしている様に

見えていましたので、いつも気の毒に思っていました

次男と一緒に住んでいて、寝たきりに、なってからは

その息子が介護をしていました

最後は、軽い誤嚥性の肺炎を起こしていましたが

いつもの様にヘルパーさんに介護をして貰っている時に

自宅で静かに息を引き取ったそうです

諸事情があり、火葬だけでしたので、数日後に

おばさんの家族や、親せきが集まり、お別れ会をしました

寂しさは有りますが、年齢的にも、老衰死と言う事で

周りの皆にも、心に受け入れられ...

和やかな雰囲気のお別れ会でした

私は思いました、周りの人達が心配する程、苦労を苦労

とは思っていなかったのでは...

親戚の中で一番[おおらか]だったと、気が付きました

だって、思い出すと笑い顔しか浮かんできません...。

終わり良ければ総て良し
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団塊世代は一度立ち止まろう ‼  №3

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明治生まれの祖父母、大正生まれの両親に育てられ
昭和と平成を生き、来年は又、新しい元号になります

天皇陛下が象徴天皇として、模索しながら、今日まで
来ましたと、昨年のお言葉の中で述べていらっしゃい
ました

天皇としての在り方を、抽象的な[象徴]と言う前例を
見ない事を、見事に体現なさられ国民の多くが感銘
しております

然しながら、国民は?と言うと、どうでしょうか...

戦後からの日本は、国の指針も、はっきりと示せない
ままで、現在まで来たのでは...と思っています

素人の私が少し勉強して今感じている事は(間違っ
ていたら、ご意見をお願いします)

日本の中心的役割を、担っていた人々が、戦死の為
に帰らぬ人となり、東京裁判で死刑になり[海外でも

多数の人が死刑にされた]そして20万人の公職追放
があったそうです

GHQの言いなりに成る、二番手、三番手、の左傾の
人間で日本を再建したのでは、現在の国の様子にな
りますね

そして戦後生まれの私たちは、子供の頃からアメリカ
やイギリスの文化に触れ、素直に入り込んで行き
真似をし、憧れて育ちました

たくさんの風を浴びて、吸い込みました

拝金主義 [金持ちが勝ち=金持ちは偉い]

ビジネスライク [義理と人情に負けては、いけない]

利己主義 [自分を愛して大切に=自分を一番に]

言論の自由 [何でも好き放題に言ってもよい]

自由 [封建制、束縛からの解放、核家族、離婚]

不の面ばかり書きましたが、全て否定している訳では
ありませんが、深い意味も解らずに、簡単に考えてい

ました、本当の自由とは、とても大きな、責任を伴うと
言う事も知らずにいました

その頃の大人達は、初体験の、敗戦からの自信喪失
感を、心に持ちながら、今までの、価値観の否定に対

する矛盾との葛藤もあり、戦争体験を語らず、もくもく
と復興の為に、働き続けたのだと思います

私の両親も、自分の事は後回しで、働いて、働くばか
りで、殆ど好きな事もせずに頑張り通しました

そういう親達に、感謝の気持ちは、持っていましたが
意見を、あまり聞き入れませんでした、古い考えだと

思い込み、否定をして、人間は、平等で自由であり
ピースなんて言って、反戦運動が、盛んな頃は本気

で戦争は、近い将来に無くなると信じ込んでいました
(私は運動に参加していませんが)

学生運動は、地方の学生が、多かったのではと、思
っています、そして全国的に見れば一部の学生だっ

たと思います、私より上の年代でしたが、周りの都会
出身の若者たちは、余り興味を持っていなかった様
に憶えています

西部邁さんは、先頭に立って学生運動をしていたが
詳しく意味も分からなかったと、笑って仰っていました


この年になって興味を持ち勉強すれば、する程世界
や世の中が、日本人が思っているほど甘くは無く

厳しく、したたかで、本当に恐ろしく感じます

結局、私たちは、アメリカや日本の左傾の人達に先導
されて生きて来たと言う事なのでしょうか...

今のアメリカやイギリスを見ていると、私達は、幻想を
追いかけていた様に思います

世の中に甘えて、周りの人達に恵まれて生きて来た
(息子、曰く)私が言うのは、おこがましい、のですが

今の日本の出来事[事件]を、見ると本当に人間性
が失われてしまって来ていると悲しくなります

一番大切な肉親を殺してしまうなんて異常です


そして私達の世代は沢山の[もの]を手にしたけれど

目に見えない大切な、[もの]を何処かで置き忘れて

来たのだと思うのです

真っすぐに、真っすぐに走って来て、幼い心に持って
いた大切な、[もの]を


一度立ち止まり、幼い頃の風景を辿り、思い起こして

心の中に取り戻したいです...


それ程、多くの事が出来る時間は、残されて折りま
せんが、少しでも日本を、良くして残して行きたいと
思っています



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団塊世代は一度立ち止まろう ‼  №2

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おなじ日本、おなじ地域、おなじ親から生まれても

それぞれの人生が異なる様に、団塊の世代も多種多様な経験を
積み、何らかの形で世の中に貢献し続けて、今を迎えています

「まだまだこれからも」と思っている元気な人、「いや、もうゆっくり
過ごしたい]

と思っている人とに、この辺りが別れ道か、なんて思ったりしますが...

団塊世代の皆様はいかがでしょうか?

前にも書きましたがインターネットで検索すると、団塊世代は競争
社会だったので[自己中心的]

戦前の封建的な価値観と戦後の新しさを持って[日本をリードし
てきた]と全体的に共通する色々な特徴が書いてあります

最近亡くなられた西部邁さんは、戦後生まれの日本人が国を
破壊していると、嘆いていらっしゃってましたが...?

私達の世代は前ばかり向いて、走り続けて来た様に思います
立ち止まったり、後ろを振り返って考えたりせずに...

記憶は定かでは有りませんが、私の育った所を思い出すと、やはり
貧乏でした、周りの皆も同じでしたので、それが当たり前、普通でした

しかし裕福な人達も少しは住んでいる所でした、電車で都心の学校
に通っている近所の遊び友達や、国立、都立の大きな病院が沢山

ある所でしたので、院長、お医者様の子供達も何人かいました
家にはピアノが在り、バレーや習い事をしていました

かと思えば、下駄を履いて通学している子供もいました、我が家も
両親が商店を始めたばかりで家族が食べてゆくだけで、精一杯

だったと思います、ピアノを置いたら、家族で寝る場所が無くなる
様な小さな家でした

今思うと、とても格差がありましたね、でも今の時代の様な[いじめ]
なんて有りませんでした

その内にテレビが出回ってきてアメリカのドラマを沢山見て育ち
ラジオで深夜放送の洋楽を聞きながら受験勉強をしていました

四才年上の兄の世代は高校でも親にお願いをして行かせて貰う
と言う時代でした

私の頃はクラスの八割から九割が高校へ行きましたが、受験の
倍率が高くて、この時だけは真剣に勉強した事を憶えています

中学の担任の先生がクラスメートも受験競争のライバルだと思い
なさいと、言った事に違和感が在り、未だに忘れません

高校は都内に在り他の区や近くの県から集まり、一クラス五十人
以上で十クラス以上ありました

修学旅行も何でも、全員では多すぎたのでしょう二組に分けて
日にちをずらして行っていました

大学は二組だけが進学クラスになり後は就職組です

就職の時期になると募集の紙が各教室に貼られました、都内でし
たので、銀行、航空会社、保険会社、証券会社、美容部員等々

殆どが聞いたことがある会社でした、しかし二十代で辞めて結婚
する人が多数でした

その頃は遅くても三十歳までには結婚して専業主婦になるのが
一般的でした

永久就職したら最後まで添い遂げるか否かは本人達の努力次第
だと言う事は今も昔も同じ様です

さあ、自己中と言われてしまった団塊世代は何組位のカップルが
添い遂げられずに離婚したのでしょうか

もう少し次に続きますので、よろしく...。





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団塊世代は一度立ち止まろう ‼ №1

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最近のテレビで幼児虐待で死亡させてしまうニュースが多く
なりましたね

もう少し前からは、親子間の殺人事件も発生し始めました

子供が親を殺す話は40年近く前の金属バット事件があり
その当時は衝撃的で大事件でした

しかも教育熱心な両親で、エリート家族でしたので世の中
では中々受け入れ難い事件でした

それから昨今まで、益々エスカレートしてきて、孫が祖父母を
或いは兄弟間での肉親同士の殺人事件が連日の様に起き
ています

前の事件のニュースだと思って見ていると、又新しい別の事
件だったりすることが度々あります

しかし、こう言う事件は年中あっても、慣れるなんて事は
ありません、常に心が痛みます

他にも大小問わず腐敗した事柄、異常な事件が数多くあります

いつ頃から日本はこんな風に、なってしまったのでしょう?

戦後教育の所為と、言う説もあり、いやもっと前の時代からだ
とか、色々と意見は分かれますが...

団塊世代の私も少し責任を感じています

インターネットで、この世代は評判が悪いので、調べて見ま
した、随分と酷い、言い方で書かれていてガッカリしました

しかし成る程と思う事も色々書いてありました、言い訳の様に
なりますが、どんな時代だったのかをこの続きで書いてみます。



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